死と医療をどう考えますか?

12年前に父を、そして今年は母をそれぞれに見送り、色々と考えさせられることばかりでした。

癌告知や余命宣告、手術を含めて治療の方針、家族としての関わり方。

自分なりに考え、家族(子ども)として対処したのですが、世の中の動きや医療情報にも変化があり、必ずしもその時の選択が今となっては本当に良かったのか、後悔していないわけではありません。

医者が自分の家族だけにすすめること

手術

最近読んだ本で「医者が自分の家族だけにすすめること」(北條 元治・著/祥伝社新書)というのがあります。

医師である著者が、「もしも家族や自分自身が〇〇という病気になったら・・・」どういう治療法を選択するか(しないか)という視点で書かれています。

本の題名からもわかるように、巷で当たり前のように行われている治療法が、必ずしも最良の治療法ではない、ということなのです。

また、過去にはさかんに勧められたり、行われていた治療法が、今では行われなくなっている、というものもあります。

世の中には私の知らない病気も沢山あり、自分や家族が身体の不調を訴えた時に、さて病院に行くものやら放置しておいてよいものやら、迷うこともありますね。

放置したばかりに後に重大な病気だと判明したとか、手遅れだった、というのはよく聞く話です。
もしも不調を感じたら、とりあえずは受診し、何事もなければそれに越したことはありません。

医療とはなにか

MRI

けれど、なにかしらの病名がつき、治療が必要になった場合、医療サイドから勧められるままに治療を行うことは、果たして本人のためになるのかどうか・・・。

例をあげれば「胃ろう」があります。
もちろん、胃ろうを全て否定するわけではありません。
ただ、私の周りで高齢の親御さんに胃ろうを行なった友人は、皆口をそろえて「やらない方が良かった」と言っています。

もちろん、本人が強く望めば別ですが、本人に治療方針を検討する力がない場合は、手術による体力の低下は免れませんし、術後に容体が悪化することも多いようです。

私の友人たちはいずれも、食事が摂れなくなった親御さんの「栄養面」を考えて胃ろうをしたのですが、胃ろうをしたとたんに殆ど意識がなく寝たきりになり、その後はただただチューブから胃に食物が送られ、それによってのみ生きている状態であったようです。

「人間、口から食べられなくなったら、もうそれが寿命なのよね。身体をチューブで繋がれて、栄養が送られて心臓が動いて呼吸だけしている、そんな姿で生きているのを、果たして本人が望んだのか、と考えると、生きるってどういうことなのかと改めて考えてしまったわ。」
と友人の一人は嘆きました。

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「死」を考えることはつまり、その時までどうやって「生きる」のか、を考えることでもあります。
自分の望む人生の幕のおろし方を、そろそろ考えておかねばならないな、と、最近になって強く思うようになりました。

「その時」が「いつ」やって来るのか、それは神のみぞ知ることで、私たちにはわからないことなのです。

だからこそ、きちんと考えておかなければならないことなのだ、と思うのです。

 

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